牧畜産業が斜陽になり、あくまでも使役犬としてしか認知されていなかったPONも必要とされなくなった20世紀初頭に第一次世界大戦が勃発しました。
その後、長きに渡る占領の歴史に終止符を打って独立を勝ち取ったポーランドでは「自国の純粋種」への関心が急速に高まり、PONという犬にも目が向けられるようになったのです。
この犬の選択的繁殖を始めたのはGrocholska夫人でした。1924年にワルシャワで行われた家禽のショーに初めてPONを二頭出陳し、その後1930年から定期的な出陳と繁殖を始めたのです。台牝のFajaとFryga、種牡のSepとWykopの四頭が1941年まで続いた彼女の犬舎を支えたのでした。
また、1930年代にはZoltowska夫人がPONの元祖といわれているFajkus z Planty(牡)とTuska z Planty(牝)の間で繁殖を始めるようになりました。この犬達の間では何度も交配が行われましたが、その子犬達は『中型で白か、ビスケット色にそれよりも濃い斑。ほとんどが無尾。』という同一性を持っていたのです。
1937年ポーランドの使役犬協会が「犬種の確立と発展」を目指して発行した公式紙にZoltowska夫人の寄稿があります。
「この犬種は強くて均一性があり、ポーランド国民に見向きさえされなかったにもかかわらず、私たちが繁殖してきた中でも被毛や色に関しても違ったタイプのものは一切見受けられなかった。」
過酷な状況下で生きてきて、子犬を見る限り血の混ざりが見受けられないということは驚きです。そしてまた、
「この犬は羊や牛の牧畜に素晴らしく、番犬としても同じく良い。利口で親しみやすいペットでもある。」
とも書いてあります。
ようやく日の目を見たPONでしたが、時代は第二次世界大戦へと向かい、PONはすぐさま数を減らすことになったのです。
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