STORK WOOD の犬達 PART1
NIPPONPON ROOTS STORK WOOD の犬達 PART2
日本のPONの始まり ▲Home

日本にPONが紹介されたのは1987年でした。
(株)レッドハートの当時の社長(前田志郎氏)が、 当時の西ドイツのポンクラブの会長(Haufschild氏)に選定いただいたPONを逐次輸入したのが始まりです。

「日本において見本になるような、最高レベルのペットショップを始めよう!それには自分で最高レベルの繁殖もしなくてはいけない。」

こんな信念から、まだ国内では知られていないスプリンガースパニエル・ボロニーズ・PONの3犬種に絞ったブリーディングを始められたのだそうです。(STORK WOOD JP)

では何故PONだったのでしょうか。

「頭が良くて躾が出来る犬種。平均的な知能レベルが上で、服従性が高い。話もよくわかり、女性・子供が扱える。更に日本人好みの長毛。ある程度の長さまでいったらそこで止まって伸びない犬。」

その条件にピッタリはまったのがPONだったのです。

’87年、丹波篠山に「レッドハート ペット ファーム」が完成。

蛍の生息地としても名高い大自然に囲まれた3000坪の広大なファームは、犬達が走り回り、飛び跳ね、じゃれ合い、充分な運動を確保できる素晴らしい環境でした。
ヒルダとその仲間達
シーラ エイミー
ヒート中 & 出産待機用 新犬舎

「朝から晩まで走り回っていたので、ストレスは最小限に抑えられたと思います。スタッフ達が本当によく面倒を見て、可愛がってくれてたのも良かったんじゃないでしょうか。そういう意味では、今皆さんが悩んでいらっしゃるというか、不思議がっていらっしゃるPON独特の問題行動っていうんですか(笑)、そういうのはありませんでしたよ。かなり運動能力が高くて体力のある犬ですから、十分な運動が問題行動を遠ざけるんだと思います。」(社長談)

       
ボール  ボール  ボール   ボール ブドウ!?

「とっても頭のいい子達で、土地の真ん中で『ハーウス!』と大きな声を上げると、お山のあちらこちらからパラパラと集まってきて、皆自分のハウスに入っていくんです。何がそんなに嬉しいんだろうと思う程オシリをプリプリさせてね。だから、大きな悩みもなく、大変なんて思ったことはありませんでした。ブラッシングの時にもすぐにゴロンとなって、やりにくいと思ったこともないし、ガウガウすることもなく皆フレンドリーでしたよ。」(スタッフ談)


あの頃、「愛犬の友」に載っていたこの広告を覚えていらっしゃる方も多いのでなないでしょうか。




日本のPONの基礎となったBANBUSやANA VONも、この中できっと充実した日々を送っていたのでしょう。

はるばるとヨーロッパからやって来たPONは全部で12頭。欧州で断尾が禁止されていなかった当時でも、シッポつきちゃんが4頭いたそうです。


アキ ホリー
 

体重は15キロから17キロ辺りが平均的。
(注:かなりの運動量をしてのこの体重)
もちろん大きい子も・・・。


 エルザ 21Kg・・・立派

足の長い子短い子、頭のちっちゃな子、胴が長い子、毛量の多い子、あたまのちっちゃな子・・・
色んなタイプの子達がいました。


ハリー クララ エリック イヴ マルコ

基本的に呼称と血統書名は一致せず、輸入犬の一部だけが血統書上の名前で呼ばれていました。阪神大震災の折、数多の資料が散逸してしまい、今では血統書上の名前と呼称を一致させることは難しいのですが、わかるものに関しては記載しておきたいと思います。   STORK WOOD の犬達 をご覧下さい
名前が一致しなくても、「もしやっ!」と思えるような、わが子にそっくりなPON達がきっと見つかるはずです。


リリー&モモ あずきとその仲間達 ジギー エイミー

一時、子犬から成犬まで多数を数えたPONですが、レッドハート ペット ファームは’94年に閉山となりました。


その前後、PON達は全国各地のブリーダーさんの元へと巣立って行き、それぞれの場所が今私たちの手元にいるPON達のお里になっていったのです。

記事:そらきなぱぱ


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